Ubuntu 12.04 でMySQL5.5の文字コード設定

/etc/mysql/my.cnfに以下を記述

[mysqld] 
character-set-server=utf8
skip-character-set-client-handshake

MySQLをリスタート

$ sudo /etc/init.d/mysql restart

MySQL5.4まではmy.cnfには以下のように記述していた。

[mysqld]
default-character-set=utf8

MySQL5.5で同じように記述すると、MySQLの起動に失敗する。

$ sudo /etc/init.d/mysql restart
[sudo] password for kougasha: 
Rather than invoking init scripts through /etc/init.d, use the service(8)
utility, e.g. service mysql restart

Since the script you are attempting to invoke has been converted to an
Upstart job, you may also use the stop(8) and then start(8) utilities,
e.g. stop mysql ; start mysql. The restart(8) utility is also available.
mysql stop/waiting
start: Job failed to start

MySQLが起動しないままmysqlコマンドを使うとこんな感じのエラーが出る。

$ mysql -u root -p
Enter password: 
ERROR 2002 (HY000): Can't connect to local MySQL server through socket '/var/run/mysqld/mysqld.sock' (2)

これはMySQL5.5でdefault-character-setのサーバーオプションが廃止されたから。(正確にはMySQL5.5.29より後のリリースだと思うけど、今後復活することはないだろうから書き換えとけばいいと思う。)


参考URL

@NHK_PRよりも@tite_kuboの方がかっこいい

言いたいことはたいして変わらないと思う。

三次元くだらない…

三次元は二次元よりすごい!癒される!気持ちいい!的なことがよくネットで言われてるから、

試しに格安のソープに行ってみたんだけど、全然面白くなかった。

 

ソープ嬢の見た目はキモメンだし、男が喜ぶシチュエーションを用意して、男が喜ぶセリフをゼンゼン言ってくれないし、

巷で言われているようなドキドキ感は一切無いし、ソープ嬢への劣情もまるで湧かなかった。

肌の荒さやソープ嬢の造形の幼稚さが問題なのだと思う。

万事、主人公にとって都合が悪すぎて、バカバカしくてときめくどころか苦笑いしか出てこない。

ソープ嬢のセリフもなんだか薄っぺらくて、射精の対象にするには深みが無さ過ぎる。

 

恋愛を知らない男子中高生がこれに大喜びするのは納得が行くけど、いい年した大人がコレにハマるのはどうかと思った。

現実逃避がダメとかじゃなく、コンテンツの質の問題。大人の視聴に耐えうるものじゃない。

嫁とつまらない喧嘩してムシャクシャして手出したけど、何の慰めにもならず時間の無駄だったわ。

 

二次元くだらない...

みんなもっと死んでもいい

死なない理由を考えてみよう。

私が積極的に死のうとしない理由は惰性だ。腹が減るので食べ、どこか痛めば辛いので病院に行き、夜になると眠いので寝る。生きていることが当たり前で、死ぬ勇気もない。死なないから生きている状態だ。

死ぬのはなんとなく怖い。具体的には死の過程にある苦痛が怖い。というか嫌だ。ただし、苦痛がないのならば、今すぐ死んでしまっても私は困らない。「死ぬと残された人が悲しむ」というが、私は私の認知も干渉もできない世界がどうなろうと構わない。

「認知も干渉もできない」とはどういうことか。当たり前だが死ぬと体が動かなくなる。そして五感も失われる。この状態で思考のみ可能だとしても、自分の死を悲しむ人がいるかどうか知るすべはない。ただその存在を想像するだけだ。普通、想像の世界で何が起ころうと人は大して気にしない。自分の死後の世界は想像の中にしか存在しないのだ。「私が死ぬと世界は無くなる」と言い換えてもいい。さらに、思考することすらできなければ死んだ瞬間に「無」となる。

「まだ死にたくない」と主張する人もいる。家族がいるから、夢を叶えたいから、様々な理由があるだろう。多くの人は生きることが目的ではない。生きて何かをすることを目的としている。しかし、その目的を達成してもいずれ死は訪れる。

 どのように生きても死ぬ。それなら、より楽しく生きたいと誰もが考える。生きることそれ自体にたいした意味はなく、生まれた瞬間から余暇なのだ。何らかの理由で楽しく生きることができないために死を選ぶことは間違いではない。存在しない死後のことなど考える必要はない。考えることは死に損なうことだけだ。

みんなもっと死んでもいい。 

21世紀人類総メガネっ子化

人が服を着るようになった理由の1つに体の保護がある。パンツ一枚で山の中を歩いてみるとよくわかる。虫に刺されたり、枝ですりむいたり、小さな傷が無数にできる。これを防ぐために服を着るのだ。

なのに、腕や足に比べて圧倒的に弱い部分の保護を人類は怠っている。それは目だ。

ご存知のように目は非常にデリケートだ。小さなゴミが入っただけで深刻な影響を及ぼす。加えて目は非常に重要な器官だ。人は情報の9割を目から得ると言われている。つまり、小さなゴミが原因となって9割の情報を失う可能性があるのだ。考え方によっては性器よりも重要な器官である。

 こういったリスクを避ける方法の1つにメガネをかけるというのがある。メガネは百年を超える歴史があり、ある程度信頼できる道具だ。最近では割れにくいプラスチックレンズもあるため、目の保護には最適だろう。

 現代の一般的な認識では「メガネは視力が悪い人がかけるもので、裸眼の方がよい」とされている。しかし、目の重要性を考えれば、裸眼は野蛮である。裸眼というのは服を着ていないようなものだ。今の時代に服を着ないで外に出れば、危ない人と見られるが普通である。裸眼というのはそれと同じだ。

これからの人類は常にメガネをかけるべきだ。家では家用メガネを着用し、会社に行くときはフォーマルなメガネ、友人と遊ぶときはちょっとオシャレなメガネをかけ、基本的に風呂以外でメガネは外さず、寝るときもパジャマメガネをかけて寝る。これが21世紀を生きる人類のあるべき姿だ。

なんで私は文章をかけないのか

3ヶ月ほど前から、いくつかブログを読むようになって、自分でもなんか書いてみようと思った。でも、全く書けない。そこでその原因を考えてみる。

まずは文章を書く経験を積んでいない。小学校の時から作文は大嫌いだった。何書いたらいいか全然わかんないし、面白い文章も書けない。私はそこそこ本を読む子供だったので、自分の文章がよくないのがなんとなく分かっていた。書こうとしないからうまくなるわけがない。最近までそんな感じだった。

考える力が弱っている。正直に言うと私は今、ニートだ。起きて、ネットで遊んで、食って寝て。こんな生活を1年くらいしている。そろそろ脱出する予定だが、ぶっちゃけメンドイ。ネットで遊ぶ場所はニートらしく2ちゃんあたりなのですが、基本的にROM専なので情報をアウトプットしないんですよね。よく言われるようにインプットだけではなかなか能力の向上は見込めないです。だからブログ書こうと思ったんですけどね。

考えるための基礎がない。例えば政治についてなんか書こうとしたら、政治制度や現状についての知識が必要になると思うんですが、これがないんです。今まで大して勉強したことないので当たり前なんですけど、全然気づきませんでした。実際に目の当たりにしないとなにか問題があるなんて気づかないもんです。

人生経験がなさすぎる。一人称の小説は書きやすいとか聞いたことがあるんですけど、小説じゃなくてもそうです。自分のことならだいたいわかるからすごく書きやすいんです。この文章も自分のことだからこんなに無駄に長々と書けるわけで、これが誰かを分析する文章だったら100文字で終わってます。なんかすごく濃い人生を送っていれば書きやすかったんでしょうけど、ニートには無理です。

とりあえず、今わかるのはこれくらい。おわり。

 

カルピスとモザイクは薄くてもいい

@nifty:デイリーポータルZ:実家のカルピス濃度について語ろうか  

3倍、5倍、7倍。好きなカルピスの濃さは人それぞれだ。大切なのはそれが「カルピス」である事だ。

ただの水じゃなくて、お茶でもなくて、ほんのり甘く、酸味があり、初恋の味がする。その少し特別な味を長く楽しみたくて、何度も味わいたくて、もっと濃くしたいのを我慢して飲む。薄くてもそれはカルピスだ。

 

TVアニメ『黒子のバスケ』キャラクターソング SOLO SERIES Vol.1 黒子テツヤ

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