みんなもっと死んでもいい

死なない理由を考えてみよう。

私が積極的に死のうとしない理由は惰性だ。腹が減るので食べ、どこか痛めば辛いので病院に行き、夜になると眠いので寝る。生きていることが当たり前で、死ぬ勇気もない。死なないから生きている状態だ。

死ぬのはなんとなく怖い。具体的には死の過程にある苦痛が怖い。というか嫌だ。ただし、苦痛がないのならば、今すぐ死んでしまっても私は困らない。「死ぬと残された人が悲しむ」というが、私は私の認知も干渉もできない世界がどうなろうと構わない。

「認知も干渉もできない」とはどういうことか。当たり前だが死ぬと体が動かなくなる。そして五感も失われる。この状態で思考のみ可能だとしても、自分の死を悲しむ人がいるかどうか知るすべはない。ただその存在を想像するだけだ。普通、想像の世界で何が起ころうと人は大して気にしない。自分の死後の世界は想像の中にしか存在しないのだ。「私が死ぬと世界は無くなる」と言い換えてもいい。さらに、思考することすらできなければ死んだ瞬間に「無」となる。

「まだ死にたくない」と主張する人もいる。家族がいるから、夢を叶えたいから、様々な理由があるだろう。多くの人は生きることが目的ではない。生きて何かをすることを目的としている。しかし、その目的を達成してもいずれ死は訪れる。

 どのように生きても死ぬ。それなら、より楽しく生きたいと誰もが考える。生きることそれ自体にたいした意味はなく、生まれた瞬間から余暇なのだ。何らかの理由で楽しく生きることができないために死を選ぶことは間違いではない。存在しない死後のことなど考える必要はない。考えることは死に損なうことだけだ。

みんなもっと死んでもいい。